依田学海よだがっかい)” の例文
ドウいう人かとくと、それより数日前、突然依田学海よだがっかい翁を尋ねて来た書生があって、小説を作ったから序文を書いてくれといった。
露伴の出世咄 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その時は二回目で、一番目が依田学海よだがっかい作の「拾遺後日連枝楠しゅういごにちれんしのくすのき」、二番目が矢野龍渓やのりゅうけいの「経国美談」であった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
弘庵は町奉行池田播磨守はりまのかみの尋問を受け一時許されて家に還った。弘庵が捕縛の顛末てんまつはその門人依田学海よだがっかいの談話を坂田篁蔭さかたこういんの手記したるもの、その著『野辺の夕露』に載せてある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
森槐南もりかいなん依田学海よだがっかいというような顔振れも見えたが、大部分は若い女で、紅葉さん漣さんというなまめかしい囁嚅ささやき其処そこにも此処ここにもれて
しかもそれが舞台に実演されたものは、依田学海よだがっかい居士の「文覚勧進帳もんがくかんじんちょう」その他二、三に過ぎず、それすらもいろいろの訂正改刪かいさんを加えられて原作者の不満を買うような結果になった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
明治年間向島の地を愛してここに林泉を経営し邸宅を築造した者はすくなくない。思出おもいいづるがままにわたくしの知るものをあげれば、華族には榎本梁川えのもとりょうせんがある。学者には依田学海よだがっかい、成島柳北がある。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたしの記憶しているところでは、この時代において局外文士の脚本が上演されたものは、依田学海よだがっかい居士の「文覚勧進帳もんがくかんじんちょう」と、川尻宝岑の「梅田神垣うめだのかみがき」など二、三種に過ぎないように思われる。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
依田学海よだがっかい福地桜痴ふくちおうち森田思軒もりたしけん石橋忍月いしばしにんげつ岡野紫水おかのしすい坪内逍遥ら諸氏の名を回想するにつけても演劇改革の事業は今日こんにち後進の吾人ごじんに取りては既に演劇そのものと相並びて歴史的興味を覚えしむる処すくなしとせず。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)