“りょうりょう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
寥々42.9%
喨々22.6%
稜々17.9%
亮々3.6%
寥寥3.6%
両々2.4%
了〻1.2%
凌々1.2%
嘹喨1.2%
寥亮1.2%
瞭々1.2%
遼々1.2%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
あたかも道路の予定線の網のみが系統的に整備しておって、しかしてその線をたどる通行人の極めて寥々りょうりょうたるがごときものである。
尺八の扇遊(立花家)が喨々りょうりょうと吹く都々逸に、初秋の夜の明るい寄席で涙をこぼした頃は、あたしもまだ若い、二十一、二の恋の日だった。
随筆 寄席風俗 (新字新仮名) / 正岡容(著)
しゅの勝久は若年でまだ二十六歳。その下の孤忠の臣たり一代の侠骨鹿之介幸盛は、三十九歳の稜々りょうりょうたるこつがらの持主であった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松吟庵しょうぎんあんかんにして俳士はいしひげひねるところ、五大堂はびて禅僧ぜんそうしりをすゆるによし。いわんやまたこの時金風淅々せきせきとして天に亮々りょうりょうたる琴声きんせいを聞き、細雨霏々ひひとしてたもと滴々てきてきたる翠露すいろのかかるをや。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
この巷にきて、これらの光線を見ることは、いつも彼にとっては堪えがたい寥寥りょうりょうとした気持に陥らせるのであった。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
世間では大部分雷同して森文相の自由主義を攻撃していた。それでも外国文化の移入は国粋思想の抵抗によってそれほどの影響も受けずに、むしろ両々りょうりょう相待って進んで行った。
かつて貴堂において貴鼎を拝見しました時、拙者はその大小軽重形貌けいぼう精神、一切を挙げて拙者の胸中に了〻りょうりょうと会得しました。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
気骨凌々りょうりょうたる眉宇びうと里見無念流の剣法に鍛えた五体とがきりりと締まって、年よりは二つ三つふけても見えようが、病み上がりとはいえ、悍馬かんばのようなはなやかさが身辺にあふれているから
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
灯前影ヲとぶろフテ彷徨彳亍ほうこうてきちょくタリ。たちまチ声ノ中空ヨリ落ルモノアルヲ聞キ、窓ヲ推シテコレヲルニ、天くもリ月黒ク、鴻雁こうがん嘹喨りょうりょうトシテたちまチ遠ク乍チ近シ。ひそかニ自ラ嘆ズラク、ワガ兄弟三人幸ニシテ故ナシ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
茂太郎はその図々しさにあきれ返って、さてまた、寥亮りょうりょうとして、清にして且つ悲なる蘆管ろかんを取って、海風に向って思う存分に吹きすさびました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
側面へまわれば「寛文六年二月六日」の忌日きじつの文字までも瞭々りょうりょうと見えるはずであったのに——
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
悠々たる哉天壌てんじょう遼々りょうりょうたるかな古今。五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーをあたいするものぞ。万有の真相は唯一言にしてつくす。曰く「不可解」。
巌頭の感 (新字新仮名) / 藤村操(著)