“とうふ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
豆腐79.2%
豆府10.4%
刀斧4.2%
桃符2.1%
豆麩2.1%
陶府2.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
それなのにおれは金もない親もない。なぐられてもだまっていなきゃならない、生涯豆腐とうふをかついでらっぱをふかなきゃならない。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
能樂師のうがくし松本金太郎まつもときんたらう叔父をぢてきは、どうふはもとより、うした豆府とうふだいのすきで、したがつて家中うちぢうみなたしなんだ。
湯どうふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そこで張譲らはひそかに手配にかかり、刀斧とうふ鉄弓をたずさえた禁中の兵を、嘉徳門や長楽宮の内門にまでみっしり伏せておいて、何太后をだまし何進を召すの親書を書かせた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桃符とうふをその傍に挿む、百鬼これを畏る〉と『荊楚歳時記』に載せ、註に董勛いわく、今正臘のあした、門前、烟火桃神をし、松柏を絞索し、鶏を殺して門戸に著け、疫を追うは礼なり。
後には単に人形を画いて桃符とうふといったらしい。
山ごしの豆麩とうふも遅し諌鼓鳥かんこどり 怒風
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
遠い唐の時代からかまが築かれ、宋元の頃には、宮廷の御用品を焼く官窯かんようが出来、それに附随する役所だの、商家だの、職人町などで、当時、支那第一の陶府とうふといわれるほど殷賑いんしんを極めていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)