鮫島さめじま)” の例文
なにゆえ四谷くんだりまでも出向いていったかというに、そこには当時南蛮研究の第一人者たる鮫島さめじま老雲斎先生がかくれ住んでいたからでした。
わたしはよく小諸義塾の鮫島さめじま理学士や水彩画家丸山晩霞ばんか君と連れ立ち、学校の生徒等と一緒に千曲川の上流から下流の方までも旅行に出掛けた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
千葉という家も九州に多いが、これも下総からの分家である。薩摩さつまにしかない名字の鮫島さめじま家のごときも、はるばる駿河の富士山麓から担いで行った家号であります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「吉村孝一という子と鮫島さめじま三郎という子が教場で取っ組み合いを始めたんです」
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「余おいヲ負フテ東ニ来ルヤ星翁既ニ西ニ帰ル。イマダカツテ面識アラズ。癸丑ノ冬翁薩藩ノ士鮫島さめじま正介ニ托シ突然書ヲ恵マル。アヽ余ノ翁ニオケルヤ文字ノ交ニ非ラズ。慷慨こうがいノ意気相投ズル者。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)