梅壺うめつぼ)” の例文
皇太后は実家においでになることが多くて、まれに参内になる時は梅壺うめつぼの御殿を宿所に決めておいでになった。それで弘徽殿こきでんが尚侍の曹司ぞうしになっていた。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そのほうを助ける人たちは言って、三女御の競争になったのであるが、結局梅壺うめつぼの前斎宮が后におなりになった。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)
梅壺うめつぼ王女御おうにょごのほうのは古典的な価値の定まった物を絵にしたのが多く、弘徽殿のは新作として近ごろの世間に評判のよい物を描かせたのが多かったから
源氏物語:17 絵合 (新字新仮名) / 紫式部(著)
二の宮も同じ六条院の寝殿を時々行ってお休みになる所にあそばして、御所では梅壺うめつぼをお住居に使っておいでになったが、右大臣の二女をおめとりになっていた。
源氏物語:44 匂宮 (新字新仮名) / 紫式部(著)
二人の女御のいどみから始まったちょっとした絵の上のことでも源氏は大形おおぎょうに力を入れて梅壺うめつぼを勝たせずには置かなかったことから中納言は娘の押されて行く運命も予感して口惜くちおしがった。
源氏物語:17 絵合 (新字新仮名) / 紫式部(著)
婦人たちの言論は長くかかって、一回分の勝負が容易につかないで時間がたち、若い女房たちが興味をそれに集めている陛下と梅壺うめつぼの女御の御絵はいつ席上に現われるか予想ができないのであった。
源氏物語:17 絵合 (新字新仮名) / 紫式部(著)