旗頭はたがしら)” の例文
今日でこそみな一方の旗頭はたがしらであるが、その当時の家橘や八百蔵や高麗蔵では、まだ十分に観客の人気をひく訳には行かなかった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
れは恐れ入つた、が、現に君の如き石部党いしべたう旗頭はたがしらさへ、の女神の為めには随喜の涙を垂れたぢや無いか」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
三木城は由来ゆらい、毛利加担の旗頭はたがしらといってもよい程、明白なる反信長の旗幟きしを立てていたが、黒田官兵衛の熱烈な信念と誠意の弁は、ついに城主の長治をして
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここはその磯節にまでも歌詞滑らかに豪勢さをうたわれた、関東百三十八大名の旗頭はたがしら、奥羽五十四郡をわが庭に、今ぞ栄華威勢を世に誇る仙台伊達だての青葉城下です。
室戸博士は、その旗頭はたがしらのようなものであった。鉱山でも、帆村をよくいわない人達がふえた。
宇宙戦隊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
箒黨はうきたう旗頭はたがしらと呼ばれてゐる道臣には、こんなことがよくあるので、京子も諦めてしまつた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
「たとえば北条の身内にて、鮎川天九郎一羽斎いちばさい、武田信玄の家臣では、天目八兵衛馬之丞、松永弾正だんじょうの郎党には、十文字刑部鋭鎌介ぎょうぶとがまのすけ、これら一方の旗頭はたがしらに皆々お逢いでござろうな?」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
続いて金港堂から美妙斎を主筆とした『都之花みやこのはな』とが発行されて、純文芸雑誌としてのエポックを作ったので、美妙斎の名は忽ち喧伝けんでんされて、トントン拍子に一方の旗頭はたがしら成済なりすましてしまった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
丸根砦の佐久間大学盛重は徒らに士を殺すを惜んで、五人の旗頭はたがしら、服部玄蕃允げんばのすけ、渡辺大蔵、太田左近、早川大膳、菊川隠岐守に退いて後軍に合する様にすすめたけれども、誰一人聴かなかった。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
もと荊州の劉表に仕え、一方の旗頭はたがしらに推されていたが、荊州没落の後、長沙に身を寄せていたものである。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しんの党の旗頭はたがしら、葛西ノ忠太そうろうなり、お書き留めくだされい」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いまでは梁山泊にいる一手の旗頭はたがしら豹子頭ひょうしとう林冲りんちゅうも、かつては滄州の大苦役場に送られて来たさい、柴進さいしんの厚い世話になり、また柴進の助けによって、牢城を脱し
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時から、柳生一族は、筒井の隷属れいぞくから離れた。そして松永弾正だんじょうの七手の旗頭はたがしらとして重用された。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
出て来たのは、叡山えいざんの僧兵にすればさしずめ旗頭はたがしらにもなれそうな骨格の大坊主である。武蔵のような身装みなりの来訪者は、毎日あつかい馴れている調子である。じろっと一べつくれて
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いったい、朝廷の臣ばかりでなく、孔明なども実に腑抜ふぬけの旗頭はたがしらだ。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)