戊申ぼしん)” の例文
戊申ぼしんの年に伊達屋敷が焼けたので、彼は任期を早めて出府したが、屋敷再建のために暇がなく、湯島を訪ねたのは明くる年の夏すぎであった。
嘉永元年戊申ぼしん八月二十九日と書し、左右に戒譽西村清常居士、文政三年庚寅かういん十二月十二日、松壽院妙眞日實信女、文化十二年乙亥おつがい正月十七日と書してある。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
戊申ぼしん。——もしこの民兵赤誠隊の組織がなかったら、梁田はりた市街戦の前に、幕軍の歩兵がなだれこんで、足利は、戦禍を浴びている、足利は、今日のすがたがなかったはずである。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弘化五年戊申ぼしん二月二十八日に嘉永と改元せられた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)