その人たちというのは、山高信離やまたかのぶあきら、山本五郎、納富介次郎のうとみかいじろう松尾儀助まつおぎすけ、大森惟中いちゅう塩田真しおだまこと、岸光景みつかげ等十人足らずの諸氏でありました。
協会の役員の一人である山高信離やまたかのぶあきら氏は御造営の事務局長でありました。