大胡おおご)” の例文
上州大胡おおごの城主だった上泉伊勢守は、川中島の合戦の永禄四年の翌年、その城地を去って、兵法修行を名として遊歴の途に上っている。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これに勇を得て続く侍は大胡おおご大室おおむろ山上やまかみなどの面々、しぶきをあげて流れに馬を乗り入れるもの三百余騎である。そのとき振り返った足利又太郎が、大音声をあげて注意した。
大胡おおごの方へ出掛けて留守でございましたが、その日も朝から篠突しのつくような烈しい雨で、小歇おやみもなく降り続いているなんとなく薄ら暗い胴震いのしそうなほど寒い日だったと覚えております。
蒲団 (新字新仮名) / 橘外男(著)
大胡おおご小四郎隆義は在京の時吉水の禅室に参じて法然の教えをうけて念仏の信者となったが、国へ下ってから不審のことは法然給仕のお弟子、渋谷七郎入道道遍を通じて法然の教えを受けていたが
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
武田家の与族で、上州大胡おおごの城主、伊勢守上泉秀綱いせのかみかみいずみひでつなの名は、わけて有名であった。また常陸ひたち塚原土佐守卜伝つかはらとさのかみぼくでんの名も、それに劣らないものだった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「されば、武芸者は、上州じょうしゅう大胡おおごの城主上泉伊勢守かみいずみいせのかみおいで、疋田小伯ひきたしょうはくという者をかしらに、門下の同勢十二名。騎馬一領、荷駄三頭、槍七筋を持ったお客じゃて」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もと上州大胡おおごの城主であったが、後、長野信濃守に仕えて一方の将となり、その主家長野氏も武田信玄に攻略されたので、以来、甲州武田家に随身して、客分同様、気ままに諸国を
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのほか、新田ノ庄の郷々さとざとに散在していて、ここには居合さなかった大胡おおご額田ぬかだ、一ノ井、細谷、綿打、横瀬、堤などの一族へもこの場からすぐおなじ旨をおびた使いが立って行った。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大胡おおごのお城はどこですか」
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)