名護屋なごや)” の例文
それがしちかごろ名護屋なごやのたよりを承るに、勿体もったいなくも淀君さまには御懐姙なされた由であるが、それにつけて心がゝりなのは聚楽におわします関白殿。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
薨去こうきょらせを、太閤は、名護屋なごやの陣で知ったのである。彼は生涯の大事業としている朝鮮役の出征にかかっていた。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵器船舶の整備を急がせると共に、黒田長政、小西行長、加藤清正をして、肥前松浦郡名護屋なごやに築城せしめ、更に松浦鎮信ちんしんをして壱岐風本かざもと(今勝本)に築かしめた。
碧蹄館の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
唐津、名護屋なごや怡土いと城、太宰府、水城みずき宇美うみ筥崎はこざき多々羅たたら宗像むなかた、葦屋、志賀島しかのしま残島のこのしま、玄海島、日本海海戦の沖の島なんて見ろ、屈辱外交の旧跡なんて薬にしたくもないから豪気だろう。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
家康が名護屋なごやに向つて江戸を立つとき、殿も御渡海遊ばすか、と家臣が問ひかけると、バカ、箱根を誰が守る、不機嫌極る声で怒鳴つた。まことに然り。謀反を起す者、家康如水の徒ならんや。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
フィスセン、ロギオイス(鍋島なべしま信濃、肥前名護屋なごや)三十六万石とあり
麦黄ばむ名護屋なごやの城の跡どころ松蝉が啼きて油蝉はまだ
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)