主計かぞへ)” の例文
弘賢は前年壬午に豊後の人田辺主計かぞへに書を与へた時、田辺をして菅茶山の起居を問はしめた。又同じ年に茶山は歌を弘賢に贈つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
直卿は初め臼杵うすき氏、後牧氏、讚岐の人で、茶山の集に見えてゐる。其他軽浮にして「時々うそをいふ」源十、矢代某に世話を頼んでもらつた主計かぞへ、次に竹里に狐の渾名あだなをつけられた某である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
主計かぞへはとう/\矢代君へ御たのみ被下候よし、忝奉存候。八月には帰ると申こと。舟にて沖をのり、もはや柳里りうり(此二字又不明)へ落著と奉存候。服部子いかが。これこそもとよりしげく参らるべし。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)