“やまのうちようどう”の漢字の書き方と例文
語句割合
山内容堂100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
吉左衛門親子には間接な主人ながらに縁故の深い尾張藩主(徳川慶勝よしかつ)をはじめ、一橋慶喜ひとつばしよしのぶ松平春嶽まつだいらしゅんがく山内容堂やまのうちようどう
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
奥山見世物の開山は椿岳で、明治四、五年の頃、伝法院でんぼういんの庭で、土州どしゅう山内容堂やまのうちようどう公の持っていられた眼鏡めがねで、普仏戦争の五十枚続きの油画をのぞかしたのでした。
公正な論を主張した山内容堂やまのうちようどうは、懐中に短刀を握りしめた岩倉の暴論によつて、ついに圧倒されたのである。この報がつたわると、当然に、徳川方に不満は勃発した。