“説”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
60.3%
せつ21.2%
とな3.8%
3.3%
よろこ2.2%
とき2.2%
とい1.6%
とく1.1%
ぜい1.1%
さて0.5%
せっ0.5%
たの0.5%
とけ0.5%
なら0.5%
0.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
私の役は彼の手紙を携えて、驚駭きょうがいの表情で彼の父の所へ駈けつけて、彼の父をき伏せなければならないのだった。之は中々大役だ。
急行十三時間 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
竜神より神仏へくういふ普通ふつうせつなれど、こゝにめづらし竜燈りうとうの談あり、少しく竜燈をげすべき説なればしばらくしるして好事家かうずか茶話ちやわきようす。
なるほど木村重吉は一応由子のお妾志願に反対をとなえたのだが、それは情熱に偏した人の言葉ではなく、批判者の言葉にすぎなかつた。
夫人の姿像のうちには、胸ややあらわに、あかんぼのお釈迦様をいだかるるのがあるから、——はばかりつつも謹んでおう。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
冉求ぜんきゅう曰く、子の道をよろこばざるに非ず。力足らざればなりと。子曰く、力足らざる者は中道にして廃す、今なんじかぎれりと。——雍也篇——
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
ゆえに「グロチュス」判然ときいわく、宗教の益は原来げんらい上帝の恩徳を講解するにもっぱらなりといえども、人間の交際においてもまたその功力はなはだ大なりと。
武士の魂と云う双刀をてゝ丸腰になる事なり、演説の新法を人にといこれを実地に施す事なり、又は著訳書に古来の文章法をやぶって平易なる通俗文を用うる事なり
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
(此一條三國通覽より抄ス。) 然るに古今經世之事併籌海守禦之事をとくに、皆是封内の事のみにして其邊海にわたるものなし。
他計甚麽(竹島)雑誌 (旧字旧仮名) / 松浦武四郎(著)
これもつ相持あひぢする、ぜいなり伊尹いゐん(九七)はうり、百里奚りけい(九八)りよる、(九九)みなつて其上そのかみもとめしところなり
さてまた亭主八五郎は彼武士に向ひ失禮しつれいながら御客樣の御國は讃州邊さんしうへんと存じ候がいづれの御方に御座候やと云ければ半四郎は不審ふしんに思ひ貴樣は如何いかゞして某しの生國を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
第二はせっ法というので即ち宗教というのであろう、本願寺を始めとして到るところに建ッておる教会を見ても分る。第三のはにょう房というやつ、これは恐ろしい勢力を持ッておるものだそうです。
人格の養成 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
枕山は出遊の途次結城を過ぎ請わるるがままに、『論語』の「学ンデしこうシテ時ニコレヲ習フマタたのシカラズヤ。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いふ所謂いはゆる乞食かたひ棒打ぼううちにてすこしも役に立ざれば腹の立のは無理ならねど此は是までの事と斷念あきらめ必ず案じる事なかれととけさとせど娘氣の亂れ染ては麻糸あさいととくよしもなき其をりから隣の家の糊賣のりうりお金例の如く營業なりはひ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
かつて「聞くならく奈落の底に沈みなば刹利せつり首陀しゅだも異ならざるなり」と詠みたまいしを空海がかく悟りてこそ「如来位までは成り登るなり」と讃めまいらせたなどを
超人チョウジンケル小心ショウシン恐々キョウキョウヒトワライナガラ厳粛ゲンシュクノコトヲカタレ、ト秀抜真珠シュウバツシンジュ哲人テツジンサケンデ自責ジセキ狂死キョウシシタ。
創生記 (新字新仮名) / 太宰治(著)