“老”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
32.8%
おい23.8%
19.6%
10.8%
ろう1.6%
らう1.3%
とし1.1%
おゆ0.9%
0.9%
0.7%
としと0.5%
0.5%
としよ0.4%
としより0.4%
0.4%
ふけ0.4%
おひ0.4%
オユ0.4%
オユノ0.4%
をぢ0.2%
アルト0.2%
0.2%
おきな0.2%
おじ0.2%
0.2%
とっ0.2%
よつ0.2%
0.2%
0.2%
オウルド0.2%
オールド0.2%
トシヨリ0.2%
ヒネ0.2%
ラオ0.2%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
年齡よりはけて見える物腰、よく禿げた前額、柔和な眼——すべて典型的な番頭でこの男だけは惡いことをたくらみさうもありません。
おい繰言くりごとの如き、生彩のない、調子の弱い、従って読者に何の印象をも与えない、贅言をくどくどと列べ立てるのが癖だからである。
陳言套語 (新字新仮名) / 津田左右吉(著)
宛然さながら、ヒマラヤ山あたりの深い深い萬仭の谷の底で、いはほと共に年をつた猿共が、千年に一度る芝居でも行つて見て居る樣な心地。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
それ故に、いの目から見れば、ふびんに見えてなりませぬ。自体が吾まま育ち、それに、人には明かされぬ短命な病気がござります。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今は隱退いんたいしてゐる小菅けんすけろうだん關根せきね金次郎名人にむかつて、としをとるとらく手がありちになる。らく手があるやうでは名手とは言へぬ。
孔子學に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其のすゝむ所有るをさとり、孜孜しゝとして自らつとめて、らうの將に至らんとするを知らず。
私達はなか這入はいりました。小屋の中には上品なとし寄りの土人が居りましたが、私達を見ると立ち上り、機嫌よく迎えてくれました。
当麻真人家の氏神当麻津たぎまつ彦の社には、祭り時に外れた昨今、急に氏の上の拝礼があつた。故上総守おゆ真人以来、暫らく絶えて居たことであつた。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
「二番目の兄が、この宿場の在方ざいかたで、手習師匠をしておりまする。それへ身を寄せて、中風を養生しておりますが、もうる年のこととて」
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上品ではあツたが、口の利方ききかたせた方で、何んでもツベコベと僥舌しやべツたけれども、調子の好かツたせいか、ひとに嫌はれるやうなことはなかった。
昔の女 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
どうしたものか、大寺が嫌ひで、としとつてからは大阪の烏鵲楼うじやくろうに引込んで、暢気のんきに膝小僧を抱いて暮してゐた。
茶話:12 初出未詳 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
でも、け役の履歴が浅いのだから、なほ技術的に発揮することが望ましい。こくは十分、味附アヂツケ不足といふところがある。千代は本役。
手習鑑評判記 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
庄次もういふ小作人の仲間で殊に心掛の慥な人間でありました。彼のとしよつた父は毎年夏の仕事には屹度一枚の瓜畑を作りました。
白瓜と青瓜 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
としより夫婦は声も節も昔のごとしとめ、年若き四人は噂にたがわざりけりと聴きほれぬ。源叔父は七人の客わが舟にあるを忘れはてたり。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
おのおの方、その番付の文字をよく御覧なさるがよい、その海老えびという字はという字だ、エビ蔵ではない。エド蔵だ。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
豪勢な出世もしたかわりに、これからが寂しいでしょうね、肩の荷のなくなった時分にゃ、もうふけ込んでしまいますからね
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
たとへばまぼろしをんな姿すがたあこがるゝのは、おひり、極楽ごくらくのぞむとおなじとる。けれども姿すがたやうには、……ぬま出掛でかけて、手場でばつくばつて、ある刻限こくげんまでたねばならぬ。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
當麻眞人家タギマノマヒトケの氏神當麻彦タギマヒコの社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏上の拜禮があつた。故上總守オユ眞人以來、暫らく絶えて居たことである。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
當麻眞人家タギマノマヒトケの氏神當麻彦タギマヒコの社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏上の拜禮があつた。故上總守オユノ眞人以來、暫らく絶えて居たことである。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
豊雄是を見て、只一八三あきれにあきれゐたる。武士らかけめぐりて、一八四ちかきとなりを召しあつむ。一八五をぢ一八六よねかつ男ら、恐れまどひて一八七うずすまる。
アルトハイデルベルヒ」とは、編中の一作品の題名であるが、この書に收録されて在る一系列の作品全體に冠しても、決して不自然ではないと思つたからである。
『老ハイデルベルヒ』序 (旧字旧仮名) / 太宰治(著)
(私がそばに見ていました)って、鼻ひしゃげのその頃の工女が、茄子なすの古漬のような口を開けて、い年で話すんです。
縷紅新草 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
師が許にて二三おほがさかりて帰るに、二四飛鳥あすか二五神秀倉かんほぐら見やらるるほとりより、雨もややしきりなれば、其所そこなる海郎あまが屋に立ちよる。あるじのおきなはひ出でて、こは二六大人うし弟子おとごの君にてます。
その船行方ゆくえなくなりてのちは、家に残る人も散々ちりぢりになりぬるより、絶えて人の住むことなきを、この男のきのうここに入りて、ややして帰りしをあやしとてこの漆師ぬしおじが申されし
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そのうちにふゆけて、だんだんはるちかづいてまいりました。あるのこと、西南にしみなみそらのすそが、雲切くもぎれがして、そこから、なつかしいだいだいいろそらが、かおしていました。
春になる前夜 (新字新仮名) / 小川未明(著)
この前のは東京に開業して居る年とった医者が、四月頃来て田舎の甥に嫁が欲しい、少々の財産もあって両親ふたおやには早く別れて兄弟二人きりだとかで、本人は文学士だと云ってましたがこれは余り話にも
誘拐者 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
差遣さしつかはすべし山中に地獄谷ぢごくだにと云處あり此所ここにて兩人を谷底たにそこ突落つきおとして殺し給へ必ず仕損しそんずる事あるまじ其留守るすには老僧らうそう天一を片付申すべし年はよつたれどもまだ一人や二人の者を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ふくろはいぼれ
赤い旗 (旧字旧仮名) / 槙本楠郎(著)
青山セイザンイズ緑水長ク存ス。いつか先生の芳志に報うことができるかも知れない」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
というのは、オウルドビルはよくふらふらと風に吹かれてドュウルンの村をあるいている事がある。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
いはゆる老嬢オールドミスには違ひないが、その風丰と云ひ、挙止と云ひ、殊に、多少鼻にかかる言葉の調子に至つては「オールド」の色よりも「ミス」の気が勝ち、世間タイプで云ふ先生タイプのなかでも
荒天吉日 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「壁に投げちやゐまいね。」祖母は剃られて青白い、眉毛の跡を吊り上げて、そのトシヨリ眼鏡の上から覗くやうに言つた。
耕二のこと (新字旧仮名) / 中原中也(著)
ヒネタル栗ヲ用ヰ殻ヲ連ネテ晒乾シ稍皺バミタル時臼ニキテ殻及シブ皮ヲ去レバ則チ内黄白色ニシテ堅ク味甜ク美ナリ或ハ熱湯ニ浸シ及ビ灰ニ煨シテ軟キヲ待テ食フモ亦佳シ或ハ食フ時一二顆ヲ用テ掌ニ握リ稍温ムレバ則チ柔ク乾果ノ珍物ト為ス也以テ嘉祝ノ果ト為スハ蓋シ勝軍利カチクリノ義ニ取リ武家特ニ之レヲ
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
張継君らのラオ国民党の眼からすると、国民党もこんなことをしてちゃ、今に共産党に食われるぞと、さきが見えてたんだな
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)