“清朝”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
しんちょう50.0%
しんてう21.4%
いまのから14.3%
しんちやう7.1%
せいちょう7.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
正保しょうほう元年、明朝みんちょうほろびて清朝しんちょうとなったころから、明末の志士、儒者なぞのこの国に来て隠れるものもすくなくはなく
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この本は清朝しんてう同治どうぢ八年(千八百六十九年)蘇松そしよう上海シヤンハイ華草書院くわさうしよいんの出版である。序に「至咸豊三年中国士子与耶蘇教師参訳始成かんぽうさんねんにいたりちうこくのししやそけうしとさんやくはじめてなる
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
此山の標準みちしるべ日本ひのもとの北海へながれきたりたる其水路すゐろ詳究しやうきゆうせんとて「唐土もろこし歴代れきだい州郡しうぐん沿革地図えんかくちづ」により清国いまのから道程みちのり図中づちゆうけんするに、蛾眉山は清朝いまのからみやこへだつこと日本道四百里ばかりの北に在り
中國でも、みんが亡んで清朝しんちやうとなつたとき、洛陽の狂畫人といはれた八大山人みたいな人もあつた。かれはサンドイツチ・マンではなく路傍の賣畫者だが、道化、狂態は相似たものである。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
思案外史の巻頭の辞を首途かどでの祝言として鹿島立かしまだちした『我楽多文庫』は四六倍判十六頁の表紙なしの畳放たたみぱなしで、今はすたれてるがその頃流行はやった清朝せいちょう活字の四号刷であった。