“よしあき”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
義昭45.8%
嘉明20.8%
義顕12.5%
吉顕4.2%
喜前4.2%
嘉彰4.2%
義明4.2%
義章4.2%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
信長に身を寄せた漂泊の将軍家義昭よしあきは、その後、岐阜ぎふの城下西にしたなの立正寺を宿所と定められて、一行はそこにししていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
〔評〕十年のなん、賊の精鋭せいえい熊本城下にあつまる。而て援軍えんぐん未だ達せず。谷中將死を以て之を守り、少しも動かず。賊勢ぞくせい遂に屈し、其兵を東する能はず。昔者むかし加藤嘉明よしあき言へるあり。
新田左中将義貞、子息義顕よしあき、脇屋右衛門ノすけ義助、一子式部大輔だゆう義治よしはる
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かみに云つた如く、霊台院殿信誉自然現成大姉は津軽氏比佐子で、墓は浅草西福寺にある。比佐子夫人の事は岡田吉顕よしあきさんに請うて阿部家の記録を検してもらつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
木犀舎は山岡氏の家で、今の阿部伯の家令岡田吉顕よしあきさんの姻家ださうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
大村領は長崎が幕府の直轄地となった関係から直接に幕府の圧迫を受け、大村喜前よしあきは逸早く棄教した。
鎖国:日本の悲劇 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
此日仁和寺宮嘉彰よしあき親王が、金甲馬にまたがり、前駆に錦旗を飜して、陣頭に進まれたので、絶えて久しき錦の御旗を仰いだわけで、官賊の別が判然としたので、薩長の軍は意気軒昂となり
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
能美郡のみごおりを、旧どおり村上義明よしあきに。——総じて地着きの豪族は、そのまま、旧領において、これをみな丹羽長秀に属せしめた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義詮は、細川顕氏や仁木義章よしあきにまもられて、やっと、京都のそとへ逃げ走り、やがて近江の四十九院しじゅうくいん(犬上郡)までたどりついたとき、はじめて、ほっと、おちつきを取りもどした。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)