鹿しし)” の例文
「俊寛法師の鹿ししたに山荘にも、ひそかに、行幸みゆきましまして、このたびの盟約には、ひとしお、お力を入れているようにうけたまわりまする」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一日鹿ししたにに法然院を尋ねた後銀閣寺に入つてわたしは案内者の説明を聞いてゐる中、偶然以上のやうな事を感じて踵を囘した。
十年振:一名京都紀行 (旧字旧仮名) / 永井荷風(著)
あなたの姿すがたはあまりにも痛ましい。わしは思いださずにはいられない。われわれが昔あの鹿ししが谷のあなたの山荘に密会したころのことを。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
あれはもう東のしら暁方あけがた頃でございましたろうか、……旦那様、手前、文麻呂様があの鹿ししたににあるお母上様の御墓所の近くに
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
次手ついでに云うと、この歌の一つ前に、「あしひきの山椿やまつばき咲く八峰やつを越え鹿しし待つ君がいはづまかも」(巻七・一二六二)というのがある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
京都に住むなら嵯峨辺か、南禅寺、岡崎、鹿ししたに方面に限ると云うような話になり、つい夜がける迄しゃべりつづけた。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
平家打倒の鹿ししたにの密議を真似て、学校当局糾弾の第一声を、月下の船中にあげたのだ……と、ものの本に書いてあるが、これは、少々、潤色がすぎるようである。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
女房に横面よこつらを打たれたのも、鹿ししたにの山荘をしたのも、しまいにこの島へ流されたのも、——しかし有王ありおう、喜んでくれい。おれは鶴の前に夢中になっても、謀叛むほん宗人むねとにはならなかった。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
今朝も、鹿ししたにの会合の発頭人は誰だということで、俊寛は成経とかなり激しい口論をした。成経は、真の発頭人は西光だといった。だから、西光だけは、平相国へいそうこくがすぐ斬ったではないかといった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
十一月二十二日 京都鹿ししたに。ミユーラー初子邸。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
鹿しし踊りだぢやい
『春と修羅』 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
新大納言や、浄憲法師じょうけんほうしや、鹿ししたにに集まった人々は、その政機を利用して、にわかに、山門討伐の院宣いんぜんを名として、軍馬の令をくだした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは、猟師が多くの山を越えながら鹿ししの来るのを、心に期待して、隠れ待っている気持で、そのように大切に隠して置く君の妻よというのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
鹿ししたにの方に隠居所を作って茶人じみた生活をしている六十近い年寄りとは、もちろん趣味が合う訳もなし、何かにつけてうるさくつうを振りまかれるのにはいつも閉口するのだけれど
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
御主人が御捕おとらわれなすったのち御近習ごきんじゅは皆逃げ去った事、京極きょうごく御屋形おやかた鹿ししたにの御山荘も、平家へいけの侍に奪われた事、きたかたは去年の冬、御隠れになってしまった事、若君も重い疱瘡もがさのために
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
わけても、極刑にひとしい厳罰をうけたのは、鹿ししたに俊寛しゅんかんであった。流されて行く先が、鬼界ヶ島と聞いただけでも、人々は魂をおののかせた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八岑やつお越え鹿しし待つ君が」(巻七・一二六二)、「八峰には霞たなびき、谿たにべには椿花さき」(巻十九・四一七七)等の如く、畳まる山のことである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「さあ、この辺は知らないが、鹿ししたにの近所の山にいくらだってあるでしょう」
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そして八大神社からもっとそこの山へ向って歩けば、山ふところを横に伝わって、鹿ししたにの方面へも、また東山や京都の市中へも降りることができる。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雲母坂きららざかにいた山法師の一軍、赤山明神下の洞院ノ実世さねよの七千人。これが一時にうごき出すと、を合せて、白川越えの上や鹿ししたにのふところでも山を裂くような武者声がわきあがった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
康頼は、鹿ししたに事件の露顕した後、俊寛僧都しゅんかんそうずと一しょに、薩摩の孤島へ流されたが、都の老母をわすれかねて、千本の卒都婆を削り、それに母恋しの和歌を書いては、日課のように、潮へ流していた。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)