躋寿館せいじゅかん)” の例文
これは漁村がその師大田錦城おおたきんじょうふうを慕って栽えさせたのである。当時漁村は六十二歳で、躋寿館せいじゅかんの講師となっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
抽斎歿後の第六年は元治げんじ元年である。森枳園が躋寿館せいじゅかんの講師たるを以て、幕府の月俸を受けることになった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この期間のすえの一年、嘉永元年に至って枳園は躋寿館せいじゅかんの一事業たる『千金方せんきんほう校刻こうこくを手伝うべき内命をち得た。そして五月には阿部正弘が枳園の帰藩を許した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)