その翌年正月の一日から法然は草庵にとじ籠って何れから招かるるも出て行かなかった。その時、兼実は藤右衛門尉重経とううえもんのじょうしげつねを使として法然に
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)