瀬尾太郎兼康せのおのたろうかねやすを大和国の検非違使に任じ、五百余騎をひきいて奈良に向うことになったが、出発のとき清盛は更に慎重な注意をあたえた。
大力を以て聞えた瀬尾太郎兼康せのおのたろうかねやすは生捕となり、火打城で裏切った平泉寺の斎明威儀師も捕われ、即刻、首をはねられた。
備中の住人瀬尾太郎兼康せのおのたろうかねやすという者で、名の知られた武士であったが、さる五月北国での戦いに敗れ、加賀住人倉光次郎成澄の手にかかって捕えられた。
こんな夜更けに一体誰が来たのかと思って尋ねると、それは、瀬尾太郎兼康せのおのたろうかねやすであった。