果して配所は奥州ということであって森入道西阿もりのにゅうどうさいあというものが承って配所へ送ることになり、嘉禄三年七月五日都を進発したが、森入道は深く律師に帰依していたので
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)