忠盛ただもり)” の例文
『新古今集』では歌人として名のたかかった源三位頼政げんざんみよりまさ、平家方では忠盛ただもり、鎌倉幕府方では頼朝よりともの三人で、頼朝すら一首しか取られていない。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
正盛は、白河法皇に仕えて、信任を得、その子忠盛ただもりは、鳥羽院に取入って、それぞれ、徐々に勢力を拡張していった。
忠盛ただもり油坊主あぶらぼうずを捕へた。私も引捕へて詮議すればかつたものを……と、老後のくやみ話。
雨夜の怪談 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
それを、日本の史に照らすと、わがちょうでは、鳥羽、崇徳すとく天皇の下に、不遇な武者どもを代表していた平忠盛ただもりや清盛などが、やがての平家時代を招きおこそうとしていた時代のあしたにあたっている。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊勢平氏いせへいしたる平正盛たひらのまさもり忠盛ただもり父子を御信任遊ばされたので、忠盛は西海に於ける海賊討伐に功を立て、瀬戸内海に平家の勢力を扶植すると共に、中央に進出して、鳥羽院の昇殿を許されるに至つた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
この笛は、祖父忠盛ただもりが、鳥羽院から賜わり、経盛が譲り受けた後、敦盛が名うての上手であったところから、敦盛の手に渡り愛用されていた。小枝さえだと名づけられた笛である。