小牧山こまきやま)” の例文
二度の失敗に、信長は、後詰ごづめの出兵をひかえたのみでなく、一応兵をのこらず小牧山こまきやま退いて、その年は、待とうとした。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小牧山こまきやま合戦の際には秀吉も入城したことがあったというのだが、天下が家康に帰してからは、尾州びしゅう侯の家老成瀬隼人なるせはやとほうぜられ、以来明治維新まで連綿として同家九代の居城として光った。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
この大きな、しかも急速な大移動を、小牧山こまきやまの徳川方の本営が見のがしているわけはない。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美濃みのを経略し、居城も清洲きよすから小牧山こまきやまへ、それからまた岐阜城ぎふじょうへと移って、尾濃びのう百二十万石を治めるようになると、秀吉もそれまでの功によって、近江長浜おうみながはまの城主二十万石という大身になっていた。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あわせて六万余の陣する小牧山こまきやまの敵塁にたいしても、かれは
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小牧山こまきやま、対、楽田がくでん
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)