おし)” の例文
何事にか夢中になって、それでおのれの背後に人の来り彳むことを忘れたのではありません。本来、この少年はつんぼで、そうしておしです。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
だが、いつの間にか、彼女は、おしになっていたのだ。怪物の手の平が、ギュッと鼻口をおおって、呼吸さえ思うようにはできなかった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そこで唯かしらを垂れたまま、おしのように黙っていました。すると閻魔大王は、持っていた鉄のしゃくを挙げて、顔中のひげを逆立てながら
杜子春 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ちとご不便でございましょうが、おしで極く正直者という船頭に金を与え、かりの松の下へ、舟を廻しておくように申しつけて参りました。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、おしの奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それ以後おしのやうだつた小娘は、また物を言ひ出した。だが、話す事といつたら、唯もうお祖母さんと、黒猩々の事ばかしである。
千両役者だからね。晴耕雨読。三度固辞して動かず。かもめは、あれはおしの鳥です。天を相手にせよ。ジッドは、お金持なんだろう?
懶惰の歌留多 (新字新仮名) / 太宰治(著)
あっぱの宮田——おしの宮田——という綽名をつけられて、心さえ持ってはいない機械からくり、ちいっとばっか工合のええ機械のように
禰宜様宮田 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
「あッ、あッ、あッ」と千切れるような、おし特有の叫び声を上げ、指で部屋の方を差したのは、夕飯を食えという意味であろう。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「ふふふふ、きん、なんできゅうおしのようにだまんじゃったんだ。はなしてかせねえな。どうせおめえのはらいたわけでもあるめえしよ」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
竹しらべひとつ吹けないくせに、もういっぱしの虚無僧になったつもりで、ことごとく大喜びでしたが、右門はむろんむっつりとおしでした。
さらに玄妙観をたずねて、道人のゆくえを問いただそうとすると、魏法師はいつの間にかおしになって、口をきくことが出来なくなっていた。
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
元子と柳子とはおしのように黙って、唯しょんぼりと俯向いているので、遠泉君はかれらの口からなんの手がかりも訊き出すたよりがなかった。
五色蟹 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
歌をみかけられて返しをせぬと、七生おしにでもなるやうに思つてゐたらしい当時の人のことで此の返しはあつたのだらう。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
ところがあの人はいつまでもそうしていてほしいくせに、おしようにだまって、妾の手をふりほどこうとするのです。しかも力一ぱいなんですよ。
華やかな罪過 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
全くの無為徒食であったが、女中のきぬは義妹の世話であったがおしの女である。きんは、暮しも案外つつましくしていた。
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
それが、おしの変形児稚市ちごいちだったのである。が、それを見ると、滝人は吾がまでも使い、夫の死に何かの役目を勤めさせようとするのであろう。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
羅貫中らかんちゅうは「水滸伝すいこでん」を著わして、そのために子孫三代にわたっておしの児が生まれ、紫式部は「源氏物語」を著わして、一度は地獄にまでおちたが
すると突然子供はワアワアとおしのような声を出して駆け出しました。「六さん、六さん」と驚いて私が呼び止めますと
春の鳥 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
おしの子ではないかと心配したが、翌朝大声に泣き始めた私を見て胸をなでおろして、私を男のように強く育てたいとて、環という男の名をつけた。
お蝶夫人 (新字新仮名) / 三浦環(著)
やがて、私は、しょっちゅうあべこべなことばかりやって暮してるこのおしの鳥に、すっかり愛想を尽かしてしまって、窓から外へ放してやる……。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
妻は「全くのおしというわけで無いんですもの、どうして食べるかぐらい、ちょっと一言ひとこと教えて下さるといいのに……」
秋草の顆 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
ちょうどこの男はおしのようであった。そして、青ぶくれのした爺さんがするように最後に耳から、耳へと語り伝えた。
悪魔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「この髪結さんは手真似で何でも話す。今東京から御客さんが来たそうだが、と言って私に話して聞かせるところだ——おしだが、悧好りこうなものだぞい」
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
二人ともほとんど口をきかない、誇張していえばつんぼおしのようなぐあいで、ちょっとした手まねや身ぶりや、簡単なめくばせなどで充分に用を弁じた。
艶書 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「イヤ。これはいわば『鼓のおし』でね……調子がちっとも出ないたちです。生涯鳴らないかも知れません。こんなのは昔から滅多にいないものですがね」
あやかしの鼓 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
おしの旅行ではとても目的を達することはできないから、まずこのステーションに止まって幾分かネパール語の練習をしなければならぬ必要が生じたです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
いわく「巧言令色すくないかな仁」。いわく何。いわく何。そうしてついに今おしのごとき演出家ができあがって多くの俳優を苦しめているというわけである。
演技指導論草案 (新字新仮名) / 伊丹万作(著)
勿論もちろんわたしなどはどこへつてもおしほうであつた。日本人にほんじん会合かいごうでも話題わだいきわめて貧弱ひんじやくほうといはなければならなかつた。しかしれるやうなこともなかつた。
微笑の渦 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
世には多くのおしの芸術家がいる。彼等は人に伝うべき表現の手段を持ってはいないが、その感激は往々にして所謂いわゆる芸術家なるものをはるかにしのぎ越えている。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
おしを装つてゐるのか、ほんとに唖なのか、どんなに、おどかしても、だましても、てんで口をきゝません。
一人の狂女が来ったのに四郎うなずくと忽ちに正気に還ったとか、またある時には、道場に来て四郎をののしる者があったが、其場におしとなりいざりとなった、などと云う。
島原の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
彼女と別れてすたすた戻ってきてから二三日はおしのようにだまって、家の軒下で竹びしゃくを作っていた。
白い道 (新字新仮名) / 徳永直(著)
三人の相手は、おしの如く默りこくつて、ガラツ八の懷から袂、髷節まげぶしの中から、ふんどしの三つまで搜しました。
熱海の間歇かんけつ温泉ではないが、この、珍無類夫妻の間には、間歇的に例の無言の闘争が始まるのだった。そして、彼女は終日おしになり、泡鳴はいろいろの所作をした。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
おしの真似をいたします。しあわせにも唖の所作は物狂いの所作にも似通って受取られ、男どもはひた呆れに呆れた顔をして飛び退きます。人呼んで唖狂いのお蝶。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「へん、いざり人力挽じんりきひきおしの演説家に雀盲とりめの巡査、いずれも御採用にはならんから、そう思い給え。」
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
産屋うぶやなどへそんなお坊さんの来られたのが災難なんだね。そのお坊さんの持っている罪の報いに違いないよ。おしどもりは仏教をそしった者の報いに数えられてあるからね」
源氏物語:26 常夏 (新字新仮名) / 紫式部(著)
百姓達から悪罵あくばを浴びせられ、うしろから小突かれながら、良寛さんは村役人の家にひつぱられて来た。その間、百姓が何をいても良寛さんはおしのやうに黙つてゐた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
しかし、父の最期にこりて、口はわざわいのもととばかり、かたく口をとざしておしでおしとおしたので、いくら惚れた男でも、これでは人形といるようでおもしろくない。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
もう一人のほうは、全然手の下しようのない生物体と闘っているおしのような身振りであった。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
「あの子ばかりではなく、へやはみんなまるでおしのやうにまだ口をきかないのよ。」
水に沈むロメオとユリヤ (新字旧仮名) / 神西清(著)
騒々しい都市の中央にあってつんぼおしのようで、まっ昼間も薄暗く、百年以上も古びて黙ってる高い人家の軒並みの間に、いかなることがあっても冷然と構えてるがようだった。
万作夫婦老を忘れてお光を愛する。這う。立つ。歩む。独りで箸を持つ。それはそれは愛らしい。だがどうも変だ。万一ひょっとおしじゃあるまいかと万作夫婦心配した位、口をきかない。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
そのつんぼの都会とおしの時代とにおいてさえ、時折は聞き取れるようになることがあった。
どうしようってのか言ってみろ。手前らあおしじゃあるめえ。してえ奴にゃさせてやる。
物ごし更に分らざれば、おしを教ふる如くするに、その覚り得ること至つて早し、始も知らず終も知らず、丈の高さ六尺より低きは無し。山気の化して人の形と成りたるなりと謂ふ説あり。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
大層お弟子もりまするが皆因縁の悪い者ばかり弟子に成りますのですから、満足の者は一人も居りません、おし頑聾かなつんぼあるいは悪い病を受けて鼻の障子が無くなって、云うことが解らなくって
クレヴィンはその子が盲目におしつんぼにうまれるようにと祈りながら弾いた。
(新字新仮名) / フィオナ・マクラウド(著)
果ては人と人とが物を受け取ったり、物をったりしているのに、己はそれを余所よそに見て、おしつんぼのような心でいたのだ。己はついぞ可哀かわいらしい唇から誠の生命せいめいの酒をませてもらった事はない。