丑刻やつ)” の例文
思ひり又も泪にくれをり丑刻やつかね鐵棒かなぼうの音と諸共に松本理左衞門は下役したやく二人下男五六人召連自分じぶん獄屋ごくやに來り鍵番かぎばんに戸口を明けさせ九助を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「そのお玉どのは、——何を隱さう、あの時刻——丁度子刻こゝのつから丑刻やつ前まで、ツイ裏の私の浪宅に來て居たとしたら、どんなものでせう」
林「えゝ、どうもそれは子刻こゝのつになりますか丑刻やつになりますか、様子が分らねえと斯ういう訳で、へえ」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
忽ち八五郎も叩き起されて、總勢五六人、夜討ほどの勢ひで隣りに行つたのは、やがて、丑刻やつ(二時)近からうと思ふ頃でした。
聞ながら行に行共々々ゆけども/\果しなくまことに始て江戸へ來る事なれば何と云處なるかまちの名も知れざれども其夜そのよ丑刻やつ時分じぶんに或町内の路次をひらき二人ながら内に入るを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
是から人の引込ひっこむまでと有助は身をかゞめて居りますと、上野の丑刻やつの鐘がボーン/\と聞える、そっと脱出ぬけだして四辺あたりを見廻すと、仲間衆ちゅうげんしゅうの歩いている様子も無いから
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
神山守は呻吟しんぎんするのです。若い娘が、若い男の獨り住居の家へ、眞夜中の子刻こゝのつから丑刻やつ近くまで居たといふことは、一體何を意味するでせう。
案事あんじけれどもお菊がなさけひかされて毎夜々々通ひはなすものゝ何時もとまる事なく夜更よふけて歸りけるが今夜も最早もはや丑刻やつすぎ頃馬喰町へぞ歸りける然るに先刻さきより樣子を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
廻「丑刻やつでございます」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
かれこれ丑刻やつ半(三時)、どうかしたら、寅刻ななつ(四時)——近かったかも判りません。表の戸をそっと叩く者があります。
丑刻やつ少し過ぎ、いつぞや中江川平太夫が心配したやうに、兇賊が例の天窓から、二度目の襲撃をして娘のお琴を縛り上げ、部屋々々をあさつて
二十七八の美い年増、丑刻やつ過ぎといふのに、帶まで締めて、びんのほつれも見せないのは、さすがに良いたしなみです。
二十七八のい年増、丑刻やつ過ぎというのに、帯まで締めて、びんのほつれも見せないのは、さすがに良いたしなみです。
お絹は昨夜丑刻やつ(二時)頃から暁方あけがたまでの間に家を抜け出しましたが、外から誘われたのなら、誰か気が付かずにいるはずはありませんから、多分
夜中過ぎ——丑刻やつ半(三時)少し前かな。宵に気分が悪いと言って騒いだ娘のことが気になるから、部屋を覗いてみると、床が空っぽで本人はいない。
その夜の丑刻やつ半(午前三時)頃、三方からあがった火の手は、瞬くひまに平次の長屋を焼き落し、近所の二三軒を半焼けにして、ようやく納まったのでした。
癖だね。毎晩きまつて、夜半過ぎに——子刻こゝのつから丑刻やつの間に、暑くとも寒くとも、必ず小用に起きましたよ。——それに恐ろしい疳性かんしやうで、雨戸を開けて、手を
子刻こゝのつが鳴つてから寢付きましたから、丑刻やつ近かつたかも知れません。變な音がして眼が覺めると有明の行燈の前に、眞つ黒な男が立つて居るぢやありませんか」
金蔵がたった一人で、私の書いた文句の場所を測り出し、私に構わず掘り出しました。——子刻ここのつ(十二時)から始めて丑刻やつ半(三時)頃までに三尺も掘ったでしょう。
「醫者が來て、殺されたのは丑刻やつ(二時)に丑刻半(三時)よりは遲くあるまいといふことです」
もう丑刻やつ(二時)近いでしょう。傾く月が、障子のない窓を漏れて寒々と尼のうなじを照します。
丑刻やつ(二時)が鳴り、寅刻ななつ(四時)が鳴ると、治助はさすがに疲れた様子ですが、外から呼んだ青髯の相棒は、労働には馴れている様子で、ほとんど疲れを知らぬ人間のように
私は心を鬼にしました。——娘を寢かして、そつと拔け出し、彌惣と約束して丑刻やつ(二時)丁度に藏の前で落合つて、あんなことになつてしまつたので御座います。錢形の親分さん
私は心を鬼にしました。——娘を寝かして、そっと抜け出し、弥惣と約束して丑刻やつ(二時)丁度に蔵の前で落合って、あんなことになってしまったのでございます。銭形の親分さん
毒酒の計略けいりやくは見事に見破りましたが、それだけで油斷をしてゐると、その夜の丑刻やつ半頃、三方からあがつた火の手は、またゝく間に平次の長屋を燒き落し、近所の二三軒を半燒にして
子刻ここのつ(十二時)が鳴ってから寝付きましたから、丑刻やつ(二時)近かったかも知れません。変な音がして眼が覚めると有明ありあけ行灯あんどんの前に、真っ黒な男が立っているじゃありませんか」
宵のうちは旦那様、亥刻よつ(午後十時)から丑刻やつ(午前二時)までは和助、その後は暁方あけがたまで私が見張ることになっておりましたが、宵から腹痛はらいたを起して、何としても我慢がなりません。
芝口の質屋、——伊賀屋に行ったのは、もう子刻半ここのつはん過ぎ丑刻やつ近い時分でした。
芝口の質屋、——伊賀屋に行つたのは、もう子刻半こゝのつはん過ぎ丑刻やつ近い時分でした。
「番頭さんが泊ることにしたのは亥刻よつ(十時)少し過ぎて、それから夜中まで降りましたが、私が丑刻やつ(二時)前に小用に起きた時は、便所の窓から見ても、もう小止みになっていましたよ」
が、もうかれこれ丑刻やつ(二時)、容易のことでは起きそうもありません。
その晩、丑刻やつ(二時)の鐘を合圖に、平次はそつと床から脱出しました。
お絹は昨夜丑刻やつ頃から曉方までの間に家を拔け出しましたが、外から誘はれたのなら、誰か氣が付かずに居る筈はありませんから、多分、自分から進んで出掛けたところをさらはれたのでせう。
丑刻やつ少し過ぎ、いつぞや平次が予言したように、兇賊が例の天窓から、二度目の襲撃をして娘のお琴を縛り上げ、部屋部屋をあさって、店に寝ているガラッ八のところまでやって来たのでした。
暁方あけがた近くなってから——丑刻やつ半(三時)頃でございましょうか、舞台の方に変な物音がするのを女房が聞付け、そっと私を起しましたので、夢中になって飛起きて行ってみると、覆面をした浪人者が
が、もう彼れこれ丑刻やつ、容易のことでは起きさうもありません。
町役人家主に口留めして、二人が引揚げたのは丑刻やつ過ぎです。
子刻こゝのつ過ぎ——丑刻やつ(二時)近かつたと思ひます」
「間もなく丑刻やつ半(三時)だったと思います」
やがてもう丑刻やつ(二時)も近いでせう。
「間もなく丑刻やつ半だつたと思ひます」
あくる夜の——丑刻やつ(二時)頃。