丑刻うしのこく)” の例文
丸橋忠弥まるばしちゅうや召捕りのために、時の町奉行石谷左近将監いしがやさこんしょうげんが与力同心三百人を率いて彼の邸へ向かったのは、慶安四年七月二十二日の丑刻うしのこくを過ぎた頃であった。
正雪の遺書 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
原文に鶏鳴露アカトキツユとあるが、鶏鳴けいめい(四更丑刻うしのこく)は午前二時から四時迄であり、また万葉に五更露爾アカトキツユニ(巻十・二二一三)ともあって、五更ごこう寅刻とらのこく)は午前四時から六時迄であるから
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
船で永代えいたいの知合の家へ隠してくれ、日は両国稲荷の御縁日の前の晩、時刻は丑刻うしのこく(午前二時)前後、場所は横山町三丁目、と話が決って、銅六はいかさまの河童の見世物まで用意し