四の宮の母は七条修理大夫信隆しちじょうのしゅりのだいふのぶたかの娘、建礼門院が中宮であらせられた時に宮仕えしていたが、高倉院の目にとまり常に召されて寵愛されているうちに、次々と多くの皇子をもうけたものである。