“しやう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:シヤウ
語句割合
24.9%
15.4%
仕樣6.5%
為様5.5%
4.5%
仕様4.5%
4.5%
爲樣3.5%
3.5%
3.0%
2.0%
2.0%
1.5%
1.5%
1.5%
1.5%
1.5%
1.0%
1.0%
1.0%
1.0%
1.0%
1.0%
0.5%
0.5%
子陽0.5%
0.5%
師揚0.5%
0.5%
爲様0.5%
0.5%
0.5%
0.5%
0.5%
0.5%
0.5%
0.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
(雷と夕立はをんさいのからくり也)雲は地中ちちゆう温気をんきよりしやうずる物ゆゑに其おこかたち湯気ゆげのごとし、水をわかし湯気ゆげたつと同じ事也。
長時間そこに立ち盡し、あれこれと氣を使ひ、最後に金を受け取る頃には、彼等は何となくこらしやうをなくして了つてゐた。
続生活の探求 (旧字旧仮名) / 島木健作(著)
で、わたくしことわると、かげまはつてさいに、にいさんはあれだからおほきな仕事しごと出來できつこないつて、威張ゐばつてゐるんです。仕樣しやうがない
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
『暑いでせう外は。先刻さつきから眠くなつて/\為様しやうのないところだつたの。』と富江は椅子を薦める。年下の弟でもあしらふ様な素振だ。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
只富貴をもて論ぜば、信玄しんげんがごとく智謀はかりごとももが百あたらずといふ事なくて、一三九一生の威を三国にふるふのみ。しかも名将の聞えは世こぞりてしやうずる所なり。
どうしたつてんだねエ——日がモウ入りかけてるのに、仕様しやうがあつたもんぢやない、チヨツ」と、お加女は打ち腹立てて、まともなく当り散らしつゝあり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
この貴婦人たちは、ブロクルハースト氏の夫人及び令孃として、テムプル先生に恭々うや/\しく迎へられ、室の上席の名譽席めいよせきしやうじられた。
爲樣しやうのねえ坊ッちやまだ。男の癖に女中の部屋などに來るものぢやねえよ。早くあッちへ行つて寐ねえと、そら酷いから。』
反古 (旧字旧仮名) / 小山内薫(著)
けれども、茶店ちやみせばあさんはしやうのものです。げんに、わたしとほがかりにぬまみぎはほこらをさして、(あれは何樣なにさまやしろでせう。)とたづねたときに、(さい神樣かみさまだ。)とつてをしへたものです。
人魚の祠 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
兎に角しやう觱篥ひちりきの音であることは確かであつた。私はその音楽の来る方へ行つてみた。それは柩車のなかでかけられた宮内省のサインのあるレコオドであつた。
町の踊り場 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
曰ふ、しやうはたるは、氣盛なる者之を能くす、而かも眞勇しんゆうに非ざるなり。孤城こじやうえんなきに守り、せん主を衆そむくにたもつ、律義者りちぎものに非ざれば能はず、故に眞勇は必ず律義者りちぎものに出づと。
譬へば潮の如きは、毎日夜に二囘づゝ進潮になり退潮になる。進潮を張る氣に比すれば其のしやうは殆ど似て居る。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
しやうき、(八九)田文でんぶんしやうとせり。呉起ごきよろこばず。田文でんぶんつていは(九〇)こうろんぜん、ならんか』と。田文でんぶんいはく、『なり』と。
けんにて住居ぢうきよなし此近邊このきんぺん大身代おほしんだいなり主は入聟いりむこにてしやう三郎と云今年ことし六十さいつまは此家のむすめにて名をおつねび四十さいなれども生得しやうとく派手はでなる事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
むかし苗字めうじ武士階級ぶしかいきふ以上いじやうかぎられたが、維新いしん以來いらいしやう町人ちやうにんすべ苗字めうじゆるされたので、種々雜多しゆ/″\ざつた苗字めうじ出現しゆつげんし、苗字めうじうぢともせいともことになつて今日こんにちにいたつたのである。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
着たる者一がうの内には往々あるべしことに女の死骸しがいは井戸源次郎妻うつせみが亡骸なきがらと思はる然すれば男の方もしやう次郎にはあるべからずほかころしたる者有るを不屆の調べに及び傳吉を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
はた又三月初より又々持病相起、幾度繰返し灸治きうちいたし候得共一向其しるしも不相見候間、自分は不治之しやうと明め居候處、不※も當月六日 主上より侍醫並獨逸醫ホフマンと申者御遣に相成候付
遺牘 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
ぼくかぎりでは、日本にほん麻雀マアジヤン發祥地はつしやうちれい大震災後だいしんさいご松山まつやましやう三が銀座裏ぎんざうらからうつつて一牛込うしごめ神樂坂上かぐらざかうへ經營けいえいしてゐたカフエ・プランタンがそれらしい。
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
わがくに姓名せいめい發生はつせい發達はつたつ歴史れきしはこゝにべないが、えうするに今日こんにち吾人ごじんせいしやうするものはじつは苗字といふべきもので、苗字と姓とうじとはその出處でどころことにするものである。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
されば一しやうといへども人これを句碑くひに作りて不朽ふきうつたふる事今なほ句碑くひのあらざる国なし。吟海ぎんかい幸祥かうしやう詞林しりん福禎ふくてい文藻ぶんさうに於て此人の右に出る者なし。
女魚めなの大なるにははらゝご一升もあり、小なるは三四合にすぎず。江戸に多くもてあつかふ塩引しほびきしやうするは鰺鮏あぢさけとて、越後の鮏とは一品いつひん別種べつしゆなる物なりと、或物産家あるぶつさんかのいへり。
「お桐には困つたわいの、もう早やこんしやうも尽きて了うた。」
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
入海いりうみ翡翠ひすゐの水のしやうとして黒檀こくたんを立つ老鉄の山
「それぢや蕎麥粉そばこでもすこらうかね蕎麥掻そばがきでもこしらへてたべたはういよ、蕎麥そばつちやえるが蕎麥掻そばがきあつたまるといふからね」内儀かみさんは木綿もめんつくつたふくろ蕎麥粉そばこを二しやうばかりれて
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
鹿台ろくたいの財を発するには、無道むだうしやうほろぼさんではならぬと考へたのだ。己が意をこゝに決し、げんかれたくし、格之助に丁打ちやううちをさせると称して、準備に取り掛つたのは、去年の秋であつた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そこで栄蔵は、少し離れた地蔵堂町ぢざうだうまち狭川せばがは子陽しやうといふ先生が開いてゐるじゆくに通学をはじめる。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
田文でんぶんすでして、公叔こうしゆくしやうる。((公叔))(九三)公主こうしゆ(九四)しやうし、しかうして呉起ごきむ。公叔こうしゆくぼくいはく、『(九五)やすし』と、公叔こうしゆくいはく、『奈何いかんせん』と。
墓は東町洞林寺にあつて、篠崎小竹が銘してゐる、子卓介がのちいだ。後秉之助へいのすけと云ふ。名は秉、字は師揚しやう、号は篁翁くわうをう、小竹の門人である。明治十七年一月十二日に歿した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
末世まつせぶつえんれしかのしやうぎよく
春鳥集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
此様なこつちや爲様しやうが無い。かくおれの此の壓迫を脱けるとしやう。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
詩経しきやうには男子だんししやうとし、或は六雄将軍りくゆうしやうぐんの名をたるも義獣ぎじうなればなるべし。なつしよくをもとむるのほか山蟻やまあり掌中てのひら擦着すりつけふゆ蔵蟄あなごもりにはこれをなめうゑしのぐ。
即ち鍋上にあな穿うがてる布片きれひ、内にれて之を沼中にとうじたるなり、「どろくき」としやうする魚十余尾をたり、形どぜうに非ず「くき」にも非ず、一種の奇魚きぎよなり、衆争うて之をあぶしよくすれど
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
「根岸の梅屋敷——龜戸梅屋敷と違つて、此處は御隱殿裏で、宮家住居の近くだから、藪鶯やぶうぐいすだつて三下さんさがりぢや啼かねえ。しやう篳篥しちりきに合せてホウホケキヨ——」
そも/\燧山は岩代国にぞく巍峩ぎがとして天にひいで、其麓凹陥おうかんして尾瀬沼をなし、沼の三方は低き山脈を以て囲繞ゐげうせり、翻々たる鳧鴨ふわう捕猟ほりやうの至るなき為め悠々いう/\として水上に飛しやう
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
日を期して僕等をベル・※ユウのしやう招待せうだいし、翁の製作を観せるついでなほデツサンの展覧会について細かな協議をしようと云はれ、其れから話は日本の芸術に移つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
攝津渡邊のしやう渡邊橋の橋供養に、我は奉行に務めて、群衆警衞の任に當りしが、供養も果てゝ人々家路に急ぐとき、橋の袂の棧敷より降り立ちて、輿に乘りたる女房の、年は二八と見えて
袈裟の良人 (旧字旧仮名) / 菊池寛(著)
そは發見物はつけんぶつに由つて充分じうぶんしやうする事を得るなり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)