“このかた”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:コノカタ
語句割合
以来64.5%
此方16.8%
以來6.5%
以還1.9%
已来1.9%
此来1.9%
0.9%
以降0.9%
己来0.9%
已來0.9%
此來0.9%
而来0.9%
而還0.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
丈「いや実にどうもしばらくであった、どうしたかと思っていたが、しちねん以来このかたなん音信おとずれもないから様子がとんと分らんで心配して居ったのよ」
白蓮さんは伝右衛門氏のことを、此方このかたが、此方がといわれるので、何となく御主人へ対して気の毒な気がして返事がしにくかった。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
あんずるに、團子だんご附燒つけやきもつ美味うまいとしてある。鹽煎餅しほせんべい以來このかた江戸兒えどつこあまあまいのをかぬ。が、なにかくさう、わたし團子だんごあんはう得意とくいとする。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
米使渡来以還このかた政務の多端なることはいにしへより無き所である。其上乙卯の地震があり、丙辰の洪水があつた。此の如く内憂外患並びいたつた日に、公は局に当つて思を労した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一切の法は、もとより已来このかた言説ごんぜつの相を離れ、名字の相を離れ、心縁の相を
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
だが、あいつも十六だったんですから、自分から死ぬ気なら遺書かきおきの一本も書くでしょうし、生きてるなら三年此来このかた便りのない筈はねえでしょう。あっしはどうしても支倉が怪しいと睨んでいるんだ。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
(『安楽集あんらくしゅう』に曰く、「無始劫むしごうよりこのかた、ここに在りて転廻りんね窮まりなく、身を受くること無数なり」と。また曰く、「六道に輪廻して苦楽の二報を受けて、生死窮まりなし」と)
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
(『唯識論ゆいしきろん』に曰く、「この識性は無始のときよりこのかた、刹那刹那に果生ずれば因滅す。果生ずるがゆえに断にあらず、因滅するがゆえに常にあらず、断にもあらず常にもあらず、これ縁起えんぎの理なるが故なり」と)
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
討しも同前知れがたき惡人共我手に入しは公儀こうぎへの御奉公ごほうこう親のあだのみならず本夫の敵まで討たるは忠孝貞とそろひし烈婦れつぷと云べし吉原町はじまりしより以降このかた斯る遊女有べからずと賞美しやうびありしかば瀬川は云もさらなり抱へ主松葉屋までも面目を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
何う云う訳か他人ひとさまの物を盗み取りましたり、親の物を引浚ひっさらって逃げますような悪い癖がございましたから勘当致しましたが、御維新己来このかたそちの行方ばかり捜して居たが、東京とうけいには居らんから
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
垂しより已來このかた本尊ほんそん現化げんげの秋の月はてらさずと云所も無く眷屬けんぞく結縁けちえんの春のはなかをらずと云ふ袖も方便はうべんかどには罪有る者をばつがた抑々そも/\義長の品行おこなひ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ひらき見るに今ではごく辛抱人しんばうにんになりし由當時丸龜まるがめにて江戸屋清兵衞と云ては立派りつぱ旅籠屋はたごやになりてくらし居るといふおもむきの手紙也依て漸々やう/\私しは安心なし夫より此來このかたたがひに書状の音信たよりして居たりしと話す所へお梅はおかんが出來ましたから一ツ御あがりなされましと湯豆腐ゆとうふなべとくり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
返す返すもくやしき熱海の御別おんわかれの後の思、又いつぞや田鶴見たずみ子爵の邸内にて図らぬ御見致候ごけんいたしさふらふ而来このかたの胸の内、其後そののち途中とちゆうにて御変おんかは被成候なされさふらふ荒尾様あらをさま御目おんめに懸り、しみじみ御物語おんものがたり致候事いたしさふらふことなど
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
制行狂暴にして、弱冠より而還このかた、しばしば重典を犯す。而れども不幸にして遂に法に死せざりき。二十九年間を回顧すれば、まさに死すべきもの極めて多し。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)