“こうてい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
肯定35.7%
後庭8.6%
高低7.1%
校庭5.7%
行程5.7%
皇帝4.3%
孝悌2.9%
抗抵2.9%
攷定2.9%
更定2.9%
高弟2.9%
黄帝2.9%
虹汀1.4%
高定1.4%
公定1.4%
公悌1.4%
功程1.4%
孝貞1.4%
庚弟1.4%
校訂1.4%
江亭1.4%
航程1.4%
高帝1.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
と、朝倉先生は、飯島の言うことを肯定こうていするというよりは、むしろさえぎるように言って、をそらした。そしてちょっと思案したあと
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
そういうくせがひどくなると、しまいには、後庭こうていの大きな木によじのぼったり、城壁じょうへきの上にのぼったりするようになりました。
強い賢い王様の話 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
かういふふうに、土地とち高低こうてい位置いち相違そういによつて、さむあたゝかさがちがふにつれて、える樹木じゆもくもそれ/″\ちがふのです。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七、八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭こうていすみさくらの木のところにあつまっていました。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
姫路から岐阜までのわずかな行程こうていを、海路を経、陸路をこえ、実に一ヵ月の余もかかって、七月の下旬、ふたりの目薬売りは、ようやく行き着いていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(こいつぁあ、よくねえ、よくねえことになるぞ。皇帝こうていたあ、あんまりあつかましすぎらあ。ヒラメだって、しまいにゃいやになっちまうぞ。)
その小乗の教は一切の事皆式に依りて行へとなり。孔子の道も孝悌こうてい仁義じんぎより初めて諸礼法は仏家の小乗なり。その一以貫之いつもってこれをつらぬくは此教を一にして執中しっちゅうに至り初て仏家大乗の一場いちじょうに至る。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
実は理性のあらそいに、意志が容喙したと云うのは、主客を顛倒てんどうした話で、その理性の争というのは、あの目の磁石力に対する、無力なる抗抵こうていに過ぎなかったかも知れない。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
もしくは九州南部の別府という語などと比較して攷定こうていすべきものであったろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
年号の更定こうていには、国家の瑞祥ずいしょうを記念したものもあるがそれは大昔の話、後代は革令革命の理論に基づいて、まった年次にそれが行われた以外、大抵は何か望ましからぬ異変があった次の年に
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
承応の時代に最も行われている剣法の諸流は上泉かみいずみ真蔭しんかげ諸岡もろおかの神道無念、高弟こうてい兎角とかく微塵みじん流、将軍家流とも云うべき柳生、宮本没後に伝わるところの二刀、新免正伝派
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黄帝こうてい曰く、「形、にして神、化せず」と)
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
これは昔虹汀こうてい様が、その絵巻物を焼いたといつわって実は、もとの形のままにして仏像へ納めておかれたものではあるまいか。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
虹の松原にちなんで名を虹汀こうていと改め、八景を選んで筆紙をべ、自ら版に起してあまねく江湖こうこわかたん事をおもへり。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
建寧けんねい(雲南省・昆明)の太守は雍闓ようがいという者であったが、彼はすでに反蜀聯合の一頭目をもって自負し、背後には南蛮国の孟獲もうかくとかたく結び、左右には越雋郡えっしゅんぐん高定こうてい
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「君の主人は、越雋えっしゅん高定こうていであろう。高定は元来、忠義な人だ、野心家の雍闓ようがいにだまされて、謀反むほんくみしたものにちがいない。立ち帰ったらよく君からも高定に忠諫ちゅうかんしてあげるがいい」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今までの祭祀さいし組織がゆるみ、この間の行事は公定こうていの五節供から除外せられていたので、土地の人だけが思い思いに、守り育てて来たものがその中に多く、そこで大きくなった人たちはもちろん
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
公悌こうていのいう三弱、王粲おうさんのあげた三害、こう数えたてれば、荊州は到底、中国百万の軍と雌雄を決して勝てる強味はどこにもない。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
既にして此年に至り、柏軒は将軍に謁した。是は亡兄画策の功程こうていが一歩を進むることを得たのだと云ふことである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「国歌の人を鼓舞して忠誠を貫かしめ人を劇奨げきしょうして孝貞こうていくさしめ」云々「あにただに花を賞し月をで春霞におもいり風鳥に心を傾くる」
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
同じ干支えとに生れた同年の者が交際するには干支の兄、干支の弟という意味で庚兄こうけい庚弟こうていと呼びあい、その子や甥などは干支のおじさんという意見いみで、それを庚伯こうはくと呼ぶの風習があった。
水莽草 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
今のわたくしは、もう古い大人だが、この天馬侠てんまきょうを読み直し、校訂こうていの筆を入れていると、そのあいだにも、少年の日が胸によみがえッてくる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ようやく江亭こうていという地まで引揚げて、味方をかぞえてみると、千人にも足らない小勢となっていた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「数百キロ? いや港までは、きんきん五十キロを出ない航程こうていです」
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
高帝こうてい升遐しょうかしたもう時、遺篋いきょうあり、大難に臨まばあばくべしとのたまいぬ。謹んで奉先殿ほうせんでんの左に収め奉れりと。羣臣ぐんしん口々に、いだすべしという。宦者かんじゃたちまちにして一のくれないなるかたみきたりぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)